「This is a pen」 という例文が表す日本の英語教育の欠点 〜日本人にとっての英語とは〜

 

 

 

「This is a pen」は意味不明。

 

 

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This is a penという有名な例文が、どれだけ非実用的か考えたことはあるでしょうか。

 

 

This is 構文、もしくはbe動詞を学ぶ際にほとんどの中学生がこの例文を用います。

日本語に訳してみると、「これはペンです」。

 

初めてこの例文の触れた時、何も不自然に感じなかったこの例文を、今もう一度見直してみると、果たしていつ、どのような状況で「This is a pen」なんて言うのだろう?と不思議に思って仕方がありません。

「これはペンです」なんて、言われなくても、見れば分かりませんか?

 目次

 

 使うことが想定されていない現在進行形。

 

英語の文法に、現在進行形という分野があります。

be動詞+動詞の ing形で「今まさに進行していること」を表すことのできる表現ですね。

現在の中学生がどのように現在進行形を学習するのかというと、現在形を現在進行形に書き換えさせる訓練を行います。

 

問題集から抜粋した例題を用いると、、、

 

現在形; I play soccer.

現在進行形; I _ __ soccer.

 

 

 

 

 

答えは I am playing soccer. 

 

文字通り、これらの英文は中学英文法の参考書、問題集に掲載されています。

 

率直に伺います。

 

「私は今サッカーをしています」という言葉をいつ、どのタイミングで用いるのでしょうか?

 

おかしなシチュエーションですよね。そんなこと聞かなくても見ればわかるでしょ?と反論したくなってしまいます。

 

 

このような「使うことが想定されていない英語」で溢れかえっている日本の英語教育を覗いてみると、日本の学生がいかに非実用的な英語を学んでいるのかが浮き彫りになってきます。

 

 

パズルのような受け身。

 

中学2年生の終わり頃に学習する受け身形。

過去分詞形という新たな動詞のパターンを暗記しなければいけないことが原因なのか、生徒達に敬遠されがちな分野なのですが、基本はいたってシンプルです。

be動詞+動詞の過去分詞形で「~される」という意味を表現できるという説明が簡潔でしょうか。

受け身の基本的な学習方法は、能動態を受動態に書き換えさせる方法が主流ですが、このプロセスはとても機械的な為か、おかしな表現の宝庫でもあります。

ここでも実際の参考書、問題集に掲載されていろ例題を見てみると、

 

Ken will be studying English at this time tomorrow.

English is being studied by Ken at this time tomorrow…??? 

 

意味不明です。

文法的には正しいことには間違いないのですが、こんな表現は普通に会話していたら絶対に遭遇しません。

日本語で会話をしていても同じです。

相手の出身を尋ねる際に、「お国はどちらですか」なんて表現、絶対に用いませんよね。(一度、海外の方に聞かれたことがありますが

 

正確な文法(Acuraccy)= 適切な英語 というのは間違いです。

 

 

文法のための文法

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現在進行形と受け身の学習方法に共通している点が2つあります。

 

 

  1. 両者とも文法のルールを覚えてもらう問題としては悪くありません。

むしろメカニカルでいい問題です。

しかし、、、

 

文法の勉強が文法のための文法になってしまっているようでは、「使うことを想定された英語」にはなりません。

 

文法は英語学習する際に避けて通れない項目ではありますが、文法をマスターした=英語を使いこなせる、という方程式は成立しないのです。

 

 

  2.  あまりにも実用的に乏しすぎます。

文法、表現、イディオムは実用的であって初めて効果があるのであって、日常会話にも登場しないものを覚えたところで、試験が終わった後に忘れるだけです。

 

 

上で挙げたものは悪い例の一握りにすぎません。

日本の英語教育には、「使うことを想定された英語」を教える文化が根付いていない為、このような例文を当たり前のように使います。

 

 

文法は無駄なのか

 

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「文法を学習したところで話せるようにはならない」という考えが広まっている現状にあります。

 

しかし、「英文法は英語学習において最も重要な過程の1つ」です。

 

海外のネイティブではない方(英語がL1ではない方)は文法のミスを気にせず、または自分がミスを犯していることに気付かずに、流暢に英語を話します。

その反面、日本人は文法に細心の注意を払いながら丁寧に英語を話します。

 

海外で生活していると、この違いは日常生活において随所に現れます。

 

正直、この違いに甲乙をつけることは僕にはできません。

なぜなら、日本人は、多かれ少なかれ、文法にある程度詳しい為、自分や相手がミスを犯した際に修正することが可能だからです。

 

自己修正の繰り返しは、結果的に流暢な英語へと繋がって行きます。

 

しかし現在の日本の英語教育では、「流暢に英語を話す」人材を多数確保することは非常に厳しい状況にあります。

 

なぜなら、何度も説いているように、

 

現在の日本の英語教育は

英語を日常的に使うことを想定した学習法を採用していない

からです。

 

 もう1度言います。日本の英語教育における最大の欠点は

英語を日常的に使うことを想定した教育メソッドを採用していない

点です。

 

 

日本人にとっての「英語」とは。

 

英語を話せるようになって損はないという考えを世間ではよく耳にしますね。

英語は現代における最も強力な金棒です。

実際に、僕自身も英語がなければ経験できていなかったであろうことをたくさん経験し、その度に自分の成長を肌で感じてきました。

 

このような考えが広く認識されてきたせいか、小学校において英語の義務教育の必修化が発表されたのを皮切りに、大学入試制度の改革英語検定の見直しなど、英語の教育方針が現在大幅に見直されています。

 

しかし、それでもなお日本の英語教育は世界基準と比較すると50~60年遅れているとも言われています。

 

いくら英語教育を見直しても、日本の英語教育が改善されない理由は山ほどありますが、最も深刻な欠点は、「使うことを想定された英語」が教室で教えられていないからです。

 

英語は何かをする際に用いられる道具であって、目的ではありません。

英語が全てではありません。

英語は道具ですからね。

 

実際に日本で生活している人にとって、英語という道具を日常的に使う機会はほとんど無いに等しいでしょう。

 

しかしグローバル化が進む現代において、日本はあらゆる面で世界から遅れをとっています。

その原因の一つとして、日本人の英語力不足が挙がるのは何も不思議なことではありません。

 

英語はすでに学校の「科目」に収まりきらないほどの影響力を持っています。

 

グローバルな環境で、円滑なコミュニケーションが図れない人間とどのように仕事をしていくのでしょう? 

 

世界での基本的な情報は英語で流出されているにも関わらず、翻訳家が翻訳してくれるのを待っているつもりですか?

Study or 「勉強」、どちらが多くの検索情報を得られると思いますか?

 

悔しいですが、日本人にとって「英語は一つの教科」という認識が根付いている事実は明確です。

英語を日本語に翻訳しながら理解しようとする姿勢が今だに改善されていない現状がその最たる例ですね。

 

英語を「教科」ではなく、「言葉」として捉えることが必要です。

 

世界では、英語教育の改革に成功している国がたくさんあります。

次回からはどのようなメソッドを用いれば、適切な英語教育の改革が行えるかを見て行きたいと思います。